第7回若者力大賞「ユースリーダー支援賞」の受賞が決定した原田謙介さんにお話をお伺いしました。
20代の投票率向上を目指し「若者×政治」 というキーワードで学生時代から前線に立ち続け、 社会を変えるアクティビストとして活躍してきた原田さん。「政治×NPO」というセクターで、政治家にならず、 企業に就職もせずに生きていくというのは、 なかなか勇気のいる決断だったのではないでしょうか。
人物紹介:原田 謙介(はらだ けんすけ)/ NPO法人 YouthCreate 代表•29歳
1986年5月10日生まれ、NPO法人YouthCreate 代表。
東京大学在学時の2008年4月に、 20代の投票率向上を目指し、「学生団体 ivote」を結成。
“年中夢求”をモットーに、「 若者×政治」 というキーワードで学生時代からずっと前線に立ち続け、
「10年後、 あの時に何もしなかったと後悔したくない」 という思いを持ちながら、将来に向けて、
組織的、 継続的な広がりを作るため、活動を行う。
これまでに手がけてきた活動は、全て後輩に譲って任せてきました
ー原田さんはNPO法人YouthCreateの代表ということで、どのようなお仕事をされてるのでしょうか。
大きくは2つで、企画やキャンペーンを受けたり、自主企画を仕掛けたり講演に呼ばれたりして発信することを行っています。スタッフは私ともう一名非常勤で週3日間働いているスタッフがいて、他に学生と社会人で、 定期的に関わってくれているメンバーが10人弱います。
ー学生時代から展開されてきた「学生団体ivote」「 居酒屋ivote」「One Voice Campaign」などの
活動と、現在運営されている NPO法人YouthCreateはどのような関係なのでし ょうか。
特に関係はなく時期も重なってはいないんです。 どんどん自分自身で次のステップに進んでいきました。
ープロジェクトが終わるとご自身は抜けて、 後輩に任せるということを続けられていますね。
自分が1から作ってきたものを手放すというのはなかなかできないことだと思うのですが。
「学生団体ivote」を引退するときはちょっと悩みましたね。大学 卒業後も引き続き若者と政治に関わることをしようと考えた時に、「ivote」をNPOにするのか、会社にするのか、 他の団体としてやるか考えました。その時に、 学生の組織を残したいと思ったんです。学生団体には 社会人の組織とは異なる強みと弱みがあるので、 その話を当時のメンバーにしたら、 2代目を引き継いでも良いという女の子がいて、今回の 表彰式当日も来てくれるのですが、 その子に預けたという流れです。 明確に「学生だけ」の組織があった方が良いという考えですね。 自分もなりかけていたかもしれないのですが、 学生がやってますと言いながら社会人が関わっているというのは面白くないと思ったんです。引退すると決めてからは半年くらいで引き継ぎました。 抜けたあとは、ほとんど何も言ってませんね。
ー今は支部もできて、拡大していますね。
はい、これがスゴいんですよ。私は、全くノータッチですね。 関西に支部ができるときは、仁義をきる意味で、挨拶にはきたんですが、 私に挨拶することでもない、と伝えました。創設者としては、 すごく嬉しいですね。
より良い社会を創るというよりは、自分がやりたいことをもっと社会に広げていこうと思う
ー「若者×政治」分野の専門家になるということは、いつ頃からイメージされていたのでしょうか。
NPO設立時には、達人とまではいかないですが、 この道で先行しているという意識はありました。 行けるかどうかはわかりませんでしたが、さらに先に 行くためにNPOを立ち上げました。若者と政治に関して、 この道で飯を食う姿を見せることで、次が続いてくるので、 世の中に見せる必要があると考えていました。元々は自分で好き勝手にやっていくイメージでいたので、今のように文部科学省や総務省などの政府機関と組むことはイメー ジしていなかったです。公的機関ではできないようなことを民間で担っていくイメージでしたが、 活動する中で一緒にやらせていただくことになり面白く感じています。
ー先日、国会でお話しもされていましたね。
はい、国会に呼んでいただけたこと自体も嬉しかったのですが、 元々インターンでお世話になった参議院議員の江田五月さんが属されて いる参議院に呼ばれたことが、 故郷に錦を飾るような嬉しさを感じましたね。
ーどんなテーマでも本気で1万時間以上取り組むと一流になれると聞いたことがありますが、 まさにその領域に達したという感じでしょうか。
私の一番の強みは、大学3年生の時から7年間一貫してブレずに活動を続けていることだと思います 。
ー国会議員事務所でインターンしようと思われたのはいつ頃でしょうか。
高校1年生の時に、文理選択で将来の職業を考える機会があり、 すごく漠然と世の中の色んな人に関わる職業につきたいと考えてい ました。イメージとしては、法律とか行政とか政治に関わる仕事だったんです。私の父は開業医で、 地域に貢献していて尊敬しているのですが、自分は同じ道ではない、 一つの地域で特定の患者さんと接するということとは違うと感じてい たんです。それで弁護士や政治家になろうと考え、 文系で東大に入ろうと思い、政治の道を初めて意識しました。
ーより良い社会を創ろうという考え方は当時からあった のでしょうか。
より良い社会を創るというよりは、 自分がやりたいことをもっと社会に広げていこうという方が近い です。学生時代は体育祭の実行委員長や、 寮生活の寮長をするようなキャラクターだったんです。
政治家はそういう延長のようなイメージがありました。 高校時代は新聞も読まなかったので、 政治のことをほとんど知らなかったのですが、世の中の色んなことに関われて、色んな人と世の中を変えられるのは、 根拠なく面白いなと単純に思っていました。
ー政治家になって、こんな国造りしようとか、 大きなビジョンはなかったのでしょうか。
そうですね。当時は特に大きなビジョンはありませんでしたが、政治を学ぼうと思った時に、 本や新聞を読んでもよくわからなかったので、現場で学ぼうと考えて、 地元岡山の先輩かつ大学の大先輩である参議院の江田五月議員を紹 介いただき、インターンとして働かせていただくことになりました。議員会館に入ったり、 地元活動のお手伝いや、 関東近辺で民主党の選挙のお手伝いもやりました。 当時は自民党から民主党への政権交代が起きる前で、 民主党に流れがきていました。政権交代時にはインターンを終えて「ivote」の活動を始めていましたね。
政治の現場と若者の間に大きな距離を感じて悔しかった
ー議員事務所でのインターンを経て「ivote」 の活動をされたのは、 政治家の道は違うと思われたからでしょうか。
そうですね。仮に政治家になれたとしても、 政治家の中で出世はできないだろうなと思いました。選挙の現場や後援会とのお付き合いをみると、 根回しや人間模様も大変そうに感じましたし、自分には上手くできないと思いました。一番決定的だったのは、現場で若い人に会うことがなかったことです。 陳情に来る人も活動に参加する人も、若い人はほとんどいませんでした。 政治が日本の将来を作るとして、 将来を担う若い人との接点がないまま進むことに疑問を感じていま した。政策でも、若い人向けの予算が少なかったり、 世代間格差が広がっていたりと問題に感じていました。
また当時、アメリカではオバマ大統領が「 Change!」や「Yes, we
can!」と言いながら、 大学生など若者も一緒に盛り上がっていたことが印象深かったです 。日本も政権交代前夜で、 アメリカも初の黒人大統領という歴史的瞬間なのに、 日本では若者が全然盛り上がっていないんです。 政治家も若者を巻き込んでいこうとしていないし、 そこに違和感を感じ、自分は政治家の道ではないと思いました。 その時に、政治の現場と若者の間に距離があるのはおかしい、 というより「悔しい」ですかね。アメリカがかっこ良く、 うらやましく感じていました。
インターンを終えた頃、団体を立ち上げる前に他に何か良い団体がないか探したこともあるのですが、全員スーツを着ているしっかりしたイメージは自分には合わないと感じました。内容ではなく、風土が違うと。また 早稲田や東大の研究会などもたくさんあったのですが、 何か違うと思いました。自分がやりたいことは、 内部のメンバーと議論することでなく、 政治に関心のない人達にどうやって関心を持っても らうか、外向けの活動がしたかったのです。しかしそのような団体はなかったので、自分で「ivote」 を立ち上げることにしました。
ー「ivote」を立ち上げたのが大学3年の4月ということは、進路を考えだす時期ですね。
「ivote」の初期メンバーはほとんどが3年生でした。その時は、 秋から就職活動が始まるので、それまでに総選挙があるはずなので、 その後に就職活動をしようという話をしていました。しかし夏に私がヘルニアで倒れ、休学せざるを得なくなってしまったんです。 就職活動に入ると活動を休止したメンバーも多かったのですが、 私一人は進路が遅れたため、逆に続けることができたんです。
ー不安な気持ちはありませんでしたか。
不安は全く無くて、 2009年の夏の衆議院選挙までに出来ることが増えて高揚感がありました。
当時、学生団体ブームもあり、 色んな団体の面白い仲間との出会いという楽しさがありました。
ーとてもいいタイミングで活動をスタートされたように感じましたがいかがでしたか。
政権交代に向けた高揚感が、世の中全体としても大きかったですよね。 ただ最初は何をしていいかわからず、新宿のマクドナルドに集まって、 2ヶ月くらいひたすら話してました。 学生団体もそれまで知らなかったんですが、 色んなイベントに参加する中で、 国会議員なら誰でも会いたいという声が多かったんです。
ー政治家は遠くて会えない存在と思う人が多かったから、いままで実現していなかったのでしょうか。
はい、元々民主党の方々とはつながりがあったのですが、 他の政党にはありませんでした。
自分は苦手なのですが、当時の仲間がすぐに自民党の代表番号とかに電話していました。
政党が偏ると中立的にならないので、毎回4~ 5党の方に来ていただきました。
ー政治家の方から君達はどこを支持しているのかと聞かれることはなかったですか。
はい、皆さんに「若者の政治への関心を高めたい」というコンセプトを理解していただいて、
ー実績がでてメディアにも取り上げられると、 知名度も上がりますます活動が加速していきますね。
そうですね。途中からそのような流れになってきて、 嬉しかったです。
今振り返ると、メディアにも出て調子に乗っていたと思います。もちろん使命感もありましたが。
ー当時は学生団体ということはボランティア運営だったのですか。
はい、協賛金ももらってなかったですし、 お金のかかるイベントも開いてませんでした。
「 居酒屋ivote」でお店と組んで安く飲めるようにしてもらったくらいですね。
ゲストの方々にも学生と同じ、3, 000円の参加費をいただいていました。
大学は休学と留年を合わせて、6年間在籍したので、結局「 ivote」は約3年半活動しました。
アルバイトを並行してやりつつ、 ヘルニアは回復して、その後すぐにバックパッカーもしました。
ー学生団体ivoteからNPO法人YouthCreate創設ま での経緯を教えて下さい。
その間は少しあって、 ivoteはメンバーも代わりながら続いて、 大学院で政治を勉強をしたいと思っていました。東京大学の公共政策大学院に行こうと考えていたら、あまり勉強をしてこなかったので面接で落ちてしまったんです。先ほどもお話したように、ivoteは学生団体として残しつつ、 自分は若者と政治をつなげる活動を何かしないといけないという使 命感と、早くしなければという時期的にも、 年齢的にも切迫感がありました。色んな人に相談して、 9割5分は一回は就職したほうがいい、 1ヶ月で辞めてもいいからと助言されたのですが、 結局その助言とは違う方向に進み、すぐにやろうと卒業した年の11月にNPO法人YouthCreateを立ち上 げました。
ーこれから先のNPOや個人としてのビジョンや目標はありますか。
自分自身が第一線に立たないやり方に変えていきたいと考えていま す。今年の5月で30歳になるので、 20代の感覚と変わると考えています。 学校への出前授業やワークショップをできる人を育てていきたいと 考えています。NPOとして、 地方議員とその街の若者が飲むイベントなどでも、 単発のイベントになってしまっているので、 これからは一つ地域を限定して、2, 3年色んな取り組みをやってみて、 若い人と政治が街でつながるようにしていきたいです。 私たちもそれなりの発信ができていると思いますが、 成果を出すために事業としてのコミットメントはできていないので 、 そこをコミットできるような流れに変えていきたいと思って います。大学院には行きそこねましたが、 改めてもう一度、 30代後半には政治システムの研究をしたいと考えていて、 市民参加が進んでいるヨーロッパなどの大学院で学びたいと思って います。
ーこれから自分の果たすべき役割でどれだけ社会に価値を出せるか、 勝負ですね。
制度や仕組みを変えるという観点でも、 もっと活動領域を増やしていきたいです。 自分の進歩というよりは、しっかり周りを巻き込んでいけるか、 自分と同じ想いをどのように他の人に広げていくかが課題です。 活動自体に良いよねとか、応援してもらっている人もいるのですが、 より多くの人を受け入れられるように組織の基盤も整備していく必要があります。他のNPOの成功モデルもあるので、 そういう状態を目指しています。
ー最後に、今学生で、自分の志で動こうとしているけど、 現実的に難しいから就職を考えている人、悩んでいる人に向けて、 メッセージをお願いします。
卒業して何かやろうと思っている人は就職したほうが良くて、 学生時代に何か真剣にやって続けられた人は続けたほうが良いと思います。 私もivoteを3年半続けてきたので、「 ivoteをしてた原田くん」という印象や人のつながりが出来てきたんだと思います。 学生時代に色々経験して、人脈もあるなら、 そのままいけば良いのではないかと思います。
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