<若者力大賞受賞者インタビューvol.1>:ジギャン・クマル・タパさん(第8回若者力大賞)

■プロフィール

1979年ネパール生まれ、37歳。

かながわ国際交流財団職員・駐日ネパール大使公式通訳。

幼少のころJICA職員がホームステイしたことで日本に興味を持ち、2000年に秀明大学(千葉県)へ留学のため来日。2009年横浜国立大学大学院博士課程 (国際開発) 単位取得後、公益財団法人かながわ国際交流財団に就職。

「ネパールと日本のかけ橋となること」を自身のミッションとし、かながわ国際交流財団において、学生の外国に対する理解を深めるプログラム企画立案や講演活動などで外国へ興味を持つきっかけを作ることに従事。個人の立場では、神奈川県地方創生推進会議の委員として政策提言・調査研究にも携わっている。2011年東日本大震災での復興支援活動では国籍を問わない「外国人バス」を出し、現地でネパール料理をふるまい支援した。2015年ネパール大地震では、日本の政府・自治体・メディア等に支援を広く呼び掛け、現地での支援活動をした。また、2016年4月に発生した熊本地震でも現地支援に携わり、震災を経験した両国の子どもの交流を図るため「たまごプロジェクト」を立ち上げ、子どもが成長する手助けをしている。    

■インタビュー内容

 

―――今までの背景や日本との接点を教えてください。

 

 私がネパールで日本語を勉強しようと思ったのは、日本に行って勉強して、自分の国と日本の間に何かしたいという、そういうミッションがありました。家族を助けたいとか、単純に日本でアルバイトしてお金稼ぎたい、という学生の傾向が強いですが、出会った日本語学校の日本人の先生やネパールで会った人たちもいい人だったし、周りに影響されて、いつの間にか日本語もちゃんと勉強しようと思う意思が働きました。

私が出会った多くの人が、ネパールと日本の懸け橋になるために、「タパさんみたいな人が日本にいると日本の若者にも、海外に目を向けるためのきっかけになる」というようなことを言ってくれることによって、私自身も目的を再認識できました。目的を見失わずにずっとやってくることが出来たのは、そういう周りの方々が居たことが大きいと思います。

 日本は誘惑も多いですし、特に親や社会の監視の目みたいなものはないですし。そういう社会の監視の目も、親の躾も、何も一気に取っ払って一人でポーンと日本に来たら、いい方向に行かない人もいますね。でも留学生活というのは、どういう日本人に会うかによって、どんな言語帯、言葉を習得していくかによりますよね。私は話し方が丁寧ですね、と言われますが、周りに丁寧な言葉を話す相手の方が多いからそうなりました。いろんな方々と出会ったけど、「袖振り合うのも多生の縁」ということわざのとおりです。

そういうことが継続することが出来たのはそういう周りの方々が居て、ことわざも慣用句も四字熟語も含めて日本の文化があって、日本人がどういうものの考え方をしているのかを学ぶことができました。

誰と会って、どう展開していくかなんて誰も知らないので。でもそれは意識しないのとするのでは大分違うと思います。

 私は日本語学校の先生に、「日本に行ってから、どのような道を選ぶかはあなた次第なのよ」と授業で言われました。全員に言っていたのだと思いますが、私にはすごく響きました。これから見たことのない世界を見ようと思っていて、どんな方向に自分が行くのか。アルバイトと勉強をしてというのは学生みんな同じ運命なのですが、その中で少しでも日本の事を学んで、少しでも日本人がいるところに行かないとダメですね。

 

――日本に興味を持つきっかけになったのはJICAの職員の方でしたね。

 

 私が日本に興味を持つきっかけになったJICAの方と同じように、触媒になって、私が今日本で生活をしている中で、沢山の日本の人に「この人どこの国の人なんだろう?」と思わせて、ネパールの話をしたり、そういうアジアに興味を持ってもらったりすることは出来るな、そこに私みたいな人の役割があるなと思いました。だから学校などでレクチャーして、シンプルに、世界に行ってみるというのはいかに面白いか、あなたたちの国はいかに面白いかという話をしています。外国人から見た良い面も悪い面も自分が選べるので、何を選ぶのかいうのは自分次第です。私は日本語という言語を勉強して、日本語を通してそういうことを学んだことの方が多いです。

 

――来日される2000年より前の環境と今とで、ネパールから見えた日本というのはネパールの方にはどう見えているのか教えてください。

 

ネパール人は、グルカ兵やインドの兵隊に入ったり、ボルネオなどいろいろな国に出稼ぎに行ったりと、ネパール人が海外に出るのは、歴史が長いです。海外に行って、出稼ぎをして、仕送りをする、というのがネパール人の運命でした。しかし私たちの世代がそれをブレークスルーしないといけないというような時代に生まれ育ちました。

私が留学したときは留学の機運は高くなく、逆にすごく珍しがられました。日本に留学に行くというのは、日本語というハードルが高かったのです。日本のODAでいろんなものを作ったり、JICAの青年海外協力隊が地域に入っていたり、NGOもすごく活躍していたりしますので、ネパール人にとってもともと日本という国の印象はすごく良いのですが、当時は日本に行くというのはすごく珍しかったです。

 

―――いろいろな講演活動をされていますね。

 

講演をする、というのは私にとっては職業ではなくて、日本の中で自分がやらなければいけないミッションだと思っています。講演はオーダーによって面白い、笑いを入れて欲しいこというものから、真剣に考えるようなスタイル、対話型で投げかけるスタイルなどいろいろです。例えば「このような状況の中で、どのようにしたら状態が変化するか」を学生に考えてもらうようなワークショップをやったりもします。それはプライベートか、財団の仕事かは関係なく、依頼があればお受けしています。

 今の財団に入ったのはあるきっかけによるものでした。私はその前からラジオとかTVに出て色々ネパールの話をしたりしていましたが、ネパールに興味ない人には意味ないので、日本の中の話を外の目から話し、考え直すようなことをしていました。昔あった番組で「ここが変だよ日本人」はすごくいいヒントになりました。

 

――財団の仕事は具体的にどういうことしていらっしゃいますか。

 

高校生や大学生に、国際理解のプログラムを作ったり、講師になって話したりすることが主な仕事です。おかげで神奈川県内は、くまなくいろいろなところに行っています。

また、2、3年前からは地方創生の諮問会議に携わっています。神奈川にいる沢山の人や企業をどのように誘致するかを考える諮問会議の委員に選ばれているので、今は月1、2回、その諮問会議のために県庁に行って話をしています。もちろん、そのために勉強もしますし、勉強をしているとアイディアも出てきます。他の人のアイディアにキラリと光るようなものがあると、「自分もなにかやらないと!」と思いますね。最近は神奈川県も外国人にいかに定着してもらうかというのは重要なことなので、今は外国籍有識者として県の政策提言に携わっています。政策提言をするからには、現場に、やはりいかに若い人に普段会うかが重要になります。

 

――今まで有識者でいろいろな会議で、外国籍の方をそもそもお見受けしたことがないかもしれません。

 

答えはシンプルです。漢字が読めないからです。分厚い論文でもポンチ絵があれば。ここがこのような流れで、ということが分かりますが、このポンチ絵の書類以外に、沢山の説明書類を頂きますので、その書類を1週間から10日で読んで、会議の中で話さなければなりません。

 あとは、調査研究として年に1回、自分たちが1つ関心のあることを財団の中で研究をすることになっています。私はその調査研究のリーダーをやっていまして、関心があるのは外国人が沢山日本に来ていますが、来日する国の数も増やしたいのです。ただ、本当に沢山来ていいのかな、という心配はあります。暮らしている中でいろいろな支援があっておもてなしを受けていますが、全体の雰囲気で、外国人がお客さんのままなのです。この社会を構成しているファクターとしてはあまり考えられてないのです。私自身在日16年目ですが、いまだに「いつネパールに帰るんですか?」と聞かれます。

 私みたいな人がネパール帰って、ネパールをもっと良くしなきゃ、という日本人の愛や期待もあると思うのですが、明治維新みたいに日本人が海外に出て、帰ってから国を良くする、みたいなところに意識が固まっている気もしますね。しかし、今はもはや外国から来た人は、観光客は別として、日本から出ていくことはそこまで考えていないのではないかと僕は思っています。

 留学生が増えるのも、日本で勉強して、という風に考えている人は、最近は少なくなってきているというのが私の印象です。以前あった30万人の目標で増えた留学生のうちほとんどがベトナムとネパールからの学生たちの出稼ぎです。安いアルバイトをして、コンビニの夜のバイトはほとんどが留学生です。あのようなことを日本の移民政策で議論しなければと思います。

 

――本当そうですね。

 

トリッキーな言葉ですよね。留学している就学生がアルバイトをして学費を払って、日本の学校は成り立ち、そこまでは上手くいっていますが、ビザが終わったとたん帰ることになるので、本当に移民政策か労働政策などでそのような議論をしないと、せっかく日本に来ても日本を嫌いになって帰ってしまいます。私のように日本文化が好きだったり、JICAの方がきっかけで日本に行こうって思ったパッションがあれば、多少留学生は苦労があってもその苦労を乗り越えてでも居る、というモチベーションになります。夢が与えられない在留資格を次々と出してしまうので、今そのような問題が大きいと思います。

 日本にどのような経緯で留学生が神奈川県に来ているかという調査結果に対して、その人たちが卒業後、特に就職した人が3年経ってどのようになっているのか、日本社会に本当に定着していくには、今どんなことが問題になっているかなどを留学生というキーワードで調査研究をしています。私の母校を卒業した留学生でも、今勤めていてもあと20年も経てば老後です。私は今年で37歳になりましたので、日本人と同じような問題が、これから留学生も含めた外国人が日本の中で抱えています。ライフステージが変われば、そのような誰もやったことがない分野に直面していくので、そのような研究をこれからしようかな、と今下案を書いています。

 

――まさに移民政策の話は私もずっと関心のあるテーマです。

 

私は日本が好きだっていうことよりも、好きな人が増えないといけないと思っています。私がしているネパール政府の公式通訳は、私がやらないと他にやる人が居ませんし、ボランティアなのです。私の1年の財団の有給休暇20日間のうち、半分以上は大使館のボランティア通訳などに費やしています。実際にお会いするのは首相、大統領、大臣、議員連盟の方々です。外務省のホームページに岸田外務大臣とネパールの外務大臣と共同記者会見をした際にも私が写っています。財団の方々の理解が無ければそこまではできません。しかし、1年間の抱えている仕事はみなさん一緒なのでバランスは難しいです。

 

――すでにやってらっしゃることだけでも十分日本とネパールとの間の関係の中でとっても重要な役割になってらっしゃると思いますが、この先はどのように考えてらっしゃいますか?

 

ネパール大使というお話をいただいたこともありましたが、ネパールでは大使は政治任免、ポリティカルアポイントメントの枠なのです。その時の外務省との相性もありますし、40歳より前にお受けすることはないと思いますが、いつかはやらなければ、と思っています。

今の私のポジションというのは何か役職を付ければ簡単ですが、財団に籍を置いていて、ネパール大使のアドバイザーのようなことを書くと縛りが出ますので、今みたいに自由に動ける方がいいなと思っています。

 

―――たまごプロジェクトに携わっていますね。

 

 ネパールの地震の少し前からたまごプロジェクトを始めました。その前に東日本大震災がありました。ネパール人が日本に増えると、みなさんいろいろなところで日本人と接点持つけれど、正しいネパールを伝えるのも難しいですし、日本の中で活躍したいと思っても出来ないということがありました。

 東日本大震災の時はすぐにネパール人のボランティアをバスで沢山連れて東北に行きました。4月1日には福島のいわきに、4月15日には南三陸町に入れない方々が避難している登米市に行き、ネパール人で炊き出しをしました。あの時一緒に行ったネパール人がいまだにお礼を言います。自分が日本という国にいて、出稼ぎに来たつもりで、自分のお店で料理を作って売るだけの生活を一生続けると思っていたけれど、あの時東北が大変だと思って一緒に行ったら、自分のカレーも役に立つ時があった、と。それでお店に、東北に行った時の話をお客さんにすると、すごく喜ばれると。だから自分が日本のために役に立つことだったらいつでもやりたい、と。でもあなたたちみたいにその場所を作ってくれる人はいないので、また何かの時はお願いします、と言われます。

東北支援が多くのネパール人にも、また、東北の人達にもすごく気に入ってもられて、今も東北の方とやり取りを持っていて、8月に東京で開催したネパールフェスティバルにも招待しました。

 今はネパールの若者と日本の若い人たちの、沢山の出会いの場を作って、それを育ませていきたいです。きっかけは震災ですが、毎年1回は東北に行っています。

 今、ネパールと日本の子供たちの作文を交換して、翻訳や監修をして冊子を作っています。子供目線の震災の記録がネパール語と日本語になるのです。私が日本の子供たちに、そういうネパールの子供たちに「励ますために何か描いてくれる?」と頼んで、気仙沼の子が書いたのを持って行って渡したら、お礼に絵を描きますということで、絵具を日本からネパールに持って行って、子供たちが初めて絵を描いたりしました。その子たちと、送った手紙を受け取った人たち同士が、多分そう遠くないうちに会えるのではないかと思っています。私がその人達を会わせるような企画をまた日本でやりたいな、と思っています。あとモザイクアートもやっています。

 

―――ゆでたまごプロジェクトのたまごですか?

 

そうです。人のつながりというのは面白いものです。私が小学校が壊れてしまったからテントを持ってネパールに行こうと思っていたが重量制限があるため困っていました。ネパール地震の後に色々応援プログラムを行っている登山家の栗城さんがいるよと神奈川県庁の方に紹介して戴きました。栗城さんのスポンサーに飛行機会社が付いているので、「100kgくらいだったらテントなどの物資をすぐ持って行けますよ」とのことだったのですぐに手配をしてお願いしました。私はカトマンズでネパール地震対応に入ったので、栗城さんがテントを持ってきたときにカトマンズで会ったのが栗城さんとの対面だったのです。栗城さんと名刺交換して、「こんな人が居るとは知らなかった、日本で会いましょう」と言っていただきました。

日本に戻ってから、機会があって栗城さん、野口健さんと三浦豪太さんとのパネルディスカッションがありました。その帰り際にある方にに声を掛けられました。「ゆでたまごプロジェクト」のチラシを印刷した富士ゼロックス株式会社のCSRの方だったのです。彼は栗城さんのファンで来ていたようでしたが、栗城さんと一緒にネパールに行った、という話をしたら、「あなたがネパールと日本の子供のこういうのをやるのを、私たちの会社が何か手伝えないか」というお話をいただきました。その時は卵のアートで交換する、という所まではまだ見越してなかったのですが、子供同士の交流をして、その震災を乗り越え、友達になってお互いが将来つながりを持てればと思い始めました。日本の子供も世界とつながりを持つ事は重要ですが、今日本の子供には足りない要素だと思います。英語を勉強したい人はすごく増えたけれど、英語を勉強してどうするのかが全然わからないので、そのコミュニケーションなどで、ネパールと日本の出会いのひとつのきっかけになるようなことになればいいなと思っています。私はそのようなファンドレイジングに力をかけずにやりたいなと思っています。たまごプロジェクトの広報や東北との支援にはマッキャンヘルスケアワールドワイドジャパンの方々にも大変お世話になりました。ネパールでは卵1個は日本よりは少し高価なもの、というイメージあるのですが、あまりお金はかからないですし。

 なるべく多くの若者が、ソーシャルアクティビティをやりながら、自分たちの意識を少し豊かにしていき、沢山の人に会って沢山の事を聞くことで視野を広げて、自分の財産に繋がればと思います。英語だけではないよ、ということがこの先分かる。そんなに大きな花火は打ち上げることは無いかもしれないけれど、今のようなことをもう少し、ちゃんとやっていきたいなという風に思っています。

 

――大きな花火というわけではない、その中の地道な活動に意味がある、という話が私にとってすごく印象的でした。やっているうちにみんな花火を打ち上げたくなるものですよね。それでもこれだけあちこちから活躍している方からその話が聞けるっていうのは、心が熱くなりました。

 

やっぱり花火を打ち上げることは、それはそれで意味があります。特にスポンサーが大きいところが付いたりすると、その人もちゃんとやっているなと分かっていても、周りにそれをお示ししなくてはいけなくなります。そうするとどうしても儀式的になって、どちらがメインか?というのが傍から見ると分からないようなプロジェクトになってしまうことがあります。紙一重だと思いますが、そちらに趣が行き過ぎてしまうと、顔色ばっかり窺うことになってしまいます。

 たまごプロジェクトをやっていて思うのは、本当にいろいろな人たちが関わっています。みなさんそれぞれのたまごプロジェクトがあるのです。いろいろな人が集まると、いろいろな意見が出るので、組織にすることで、沢山の人の意見を聞いて、合理的に物事を判断するようにしています。一番は現場の話をよく聞いて、日本の若者がネパールに行ってボランティアするようなことがあれば、どんどんその橋渡しに、っていうのはやってもいいかなと思っています。

 大きな花火を打ち上げるというのもそのものの考えようによってはそうした方が沢山の方々が安心するという面もあります。「あの時募金したけど今どうなっているのだろう」と多くの方がやはり心配してくれますし、「あれだけで大丈夫だったのかな」という人も居れば、「あの使い道はちゃんとやっているかな」などいろいろな心配があります。やはり定期的に人に知ってもらうという機会はあったほうがいいなと思います。

 

――これからもご活躍に期待しています!ありがとうございました!


さて、来たる2017年2月21日(火)の第8回若者力大賞では、表彰式にてタパさんご本人の受賞スピーチもございますし、交流会にもご参加いただける予定です。ぜひ、若者力大賞にご参加ください。

 

「第8回若者力大賞」表彰式&交流会の詳細と参加申込はこちらからお願いいたします。