2016年

2月

04日

第7回若者力大賞「ユースリーダー賞」 高桑 早生氏インタビュー

みなさんはじめまして、日本ユースリーダー協会学生スタッフの藤村琢己(中央大学)です。本日はユースリーダー賞の受賞が決定した陸上選手の高桑早生さんにお話を伺いました。お話を伺う前に、もし自分自身が中学1年生で左足ひざ下を切断ということになったら、どんな人生を歩むだろうと想像してみたのですが、正直なかなか想像がつきませんでした。これまでの人生をどのように切り拓いてこられたのか、子供たちに感動を与え続ける高桑さんのこれまでとこれからをお聞きしました。 

 

人物紹介:高桑 早生(たかくわ さき)/エイベックス所属 陸上選手・23歳

 

1992年5月26日生まれ、エイベックス所属陸上選手。

小学6年生のときに左足に骨肉腫が見つかり、3度の手術を経て中学1年生で左足ひざ下を切断。同じ病気で足を切断していたパラアスリートの佐藤真海さんの著書をきっかけに障がい者陸上を知り、知人に見学に誘われ初めて義足の人が走っているところを見て、とても感動する。高校入学と同時に陸上部に入部し、元々の身体能力を生かし、陸上を始めて1年弱で日本代表に選出された。慶応義塾大学に進学すると、20歳でロンドンパラリンピックに初出場。女子100m、200m(T44クラス)で7位入賞を果たした。2014年には上尾市陸上競技選手権夏季大会で、100m(T44クラス)13秒69の日本記録を出した。2015年度の日本パラ陸連強化指定選手に指名され、翌年開催されるリオパラリンピック出場の最有力候補となっている。大学在学中から母校での講演をきっかけに、競技だけではなく、地元埼玉県深谷市の小学校をはじめ、各地教育機関での講演など多数に参加し、子どもたちに、チャレンジや一生懸命頑張ることの大切さを伝えている。ハンディキャップに打ち負けず行動することで、子どもたちに感動を与え、同時に元気をもらっている。大学卒業後、エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社に社員として勤務しながら、練習に励みつつ講演を継続している。

 

高校に進学すれば、また別の世界が広がっているんじゃないかなというのをただ信じていた

 

―小学校などで講演する時には、どのようなお話をされているのですか。

 

自分が通っていた小学校の先生から「今、本当にチャレンジしないで諦めちゃう子が多いから、そういう子たちに諦めずに続けていくことが大事だ」というお話をして欲しいというリクエストを頂いたことがきっかけで、お話をさせていただきました。それから、徐々に小学生向けにはそういう「諦めないで継続すること」をテーマにお話させてもらうようになっていきました。

スポーツ大好きだったけど病気をしてしまって、でもスポーツ諦められなくて継続していった結果、いろんな大会に出ることができるようになった、そして、大会で結果が出せるようになったというお話をしています。

 

―高桑さんが以前TEDでプレゼンテーションされているのを拝見した際に、中学生の頃に抗がん剤の治療を始めた時期はとても辛かったとあったのですが、その辛さにはどう向き合われていたのですか。

 

たしかに、中学の3年間は辛い時期だったんですけど、高校に上がればまた別の世界が広がっているんじゃないかなというのを、ただ信じていたというか、諦めずに、前を見て生きていました。未来を思い込むじゃないですけど、いい方向に向かうと思い込んでました。

おそらく、そういう考え方に至ったのは親の影響もあると思います。「辛いことがあったら、きっとその先にはいいことあるから」ということを小さい頃から言われていたことは大きかったと思います。

 

―自分が病気になった時にそう思えるのは凄いと思います。

 

何か一つ信じるものというか、はっきりみえるものが欲しかったんだと思います。それくらい何もなくて。結構辛い時期だったので。

 

義足をこう使って、自分が速く走るんだと考えていました

―事前に高桑さんのインタビュー記事を読みながら印象的だったのは、そういう経験を踏まえながらも義足のことを「こいつ」とか「相棒」と表現していたところだったんですけど、そこにはどのような心境の変化があったのですか。

 

早くみんなと同じように動けるようになりたいと思っていました。そのためには、自分に与えられた新しい足を使いこなさなきゃいけないと思っていました。そんな時に、陸上競技と出会って、そして、スポーツ義足に出逢いました。日常用の普通に歩く義足とスポーツ用の義足は全く違うもので、スポーツ用の義足はいかにこの義足を使って速く走るかを考えなきゃいけない。そういうことを考え始めてから、義足は自分が使いこなすものなんだなと徐々に意識が変わっていったのかもしれないですね。

 

ただ跳ねている義足に身を任せて走るのではなく、この義足をこう使うことによって、自分が速く走るんだというように考えていました。それが徐々に普段使用している普通に歩く義足にも転用されていったという感じです。ただ歩くだけではなく、綺麗に歩くにはどうすればいいか、もう少し速く歩くためにはどうすればいいか、ちょっと方向転換することでもどういう風にすればスムーズにいくかを考えるようになったので、そこから義足と向かうというか、付き合い方が変わってきたのではないかと思います。

 

―その変化はいつ頃ですか。

 

徐々に変化していったのですが、高校生ぐらいからだと思います。中学生の頃は、ただ昨日より今日長い距離を歩けるようになりたい。そういう基本的なことを考えていました。高校で競技用義足と出会ってから、綺麗に歩くことを意識したので、やはり高校生の頃ですね。

 

健常者と一緒に走るというのに、すごくこだわっていました

―実はもう一つ驚いたことがあります。大学に入ってから競技部で健常の選手と一緒に練習するというハードな環境に飛び込まれたそうですが、その心境というかハングリー精神を支えていたものは何だったのでしょうか。

 

大学の競走部に入るのは、たしかに私の中でも大きな決断でした。実は、高校時代に陸上を始めて、健常の選手と一緒に走る環境というか、自分に与える影響の大きさを実感していました。

私はあまりこだわりがない人間なんですけれど、健常者と一緒に走ることにはすごくこだわっていました。大学に入ってからも、そういう環境でありたいと思って出会ったのが体育会の競走部でした。健常の学生と練習するという自分の強い一つの思いを曲げたくありませんでした。

 

―健常者と一緒に走ると、どのような影響があるのですか。

 

高校の時に陸上競技部に入って、実際に結果が出たので、この環境のおかげで速くなったという実感が自分の中で確実にありました。もっとレベルの高い環境でやったら、もっと速くなるんじゃないかという非常に安直な考え方ではあるんですけど、そんな風に思っていました。

競技については、自分は運が良くて、かなりいい調子にすべてが転がっていったと思っているんですけど、決して現状に満足することなく、まだ足りないまだ足りない、もっとこうすればいい結果が生まれてきた、そして実際に結果が出ていたというのは大きかったと思います。

 自分の義足を見せると、ちょっと目を引くじゃないですか、いい意味でも悪い意味でも。

 

―小学校で自分の経験を伝えたり、いろんな人にメッセージを届けることを実際にやってみられていかがですか。

 

はじめて人前でちゃんと話したのは、自分が卒業した小学校だったと思うんですけど、本当に初めてなのでうまく話せなかったというのが最初の印象です。周りの反応を見るまでもなく、自分が話せてないなという感想を抱きました。自分が大好きな世界、陸上競技や義足の魅力について、きっと目の前にいる小学生たちは、私に出会わなければ一生義足と触れ合わずに生きていくかもしれないし、せっかく出会ったチャンスなのに自分がうまく伝えられなかったということがすごく悔しかったです。しかも、自分の卒業した小学校なのに・・・と悔しい気持ちでした。

その悔しい経験を踏まえて、それ以降はできるだけ、わかりやすく、おもしろいなと思ってもらえるように、話せるように工夫をしてきました。こんな魅力的な世界にこの人はいるんだなと思ってもらえるようにお話をしています。

 

―どのような工夫をされているんですか。

 

まず、最初に義足の話をします。自分の義足を見せることは、私が人前で話す時は必ずやるんですけど、自分の義足を見せると、ちょっと目を引くじゃないですか、いい意味でも悪い意味でも。でも、小学生ぐらいだとちょっと怖いと思う人もいたり、実は身内に義足の人がいてその人のことを思い出して悲しくなっちゃうとか、実際にあるのですが、良くも悪くも、私に注目してもらえる、ちょっとは興味を持ってもらえると思うんですよね。

この人は義足なんだ、義足なんて初めて見たという風にみんなにこっちを向いてもらえます。そこから競技用の義足を実際見せてみて、これで走るんだよという話をしたりとか。もしかしたら嫌な思いをする人もいるかもしれないんですけど、やっぱりそこはつかみが肝心です。(笑)そういうところを意識して、実際におしゃべりしているような感じで、小学生、中学生、高校生に向けてお話ししています。

 

小学生は直球です。「お姉さんそれいくらすんの?」って聞いてきます。

―例えば、注目されてからどういう風に接していいかわからない小学生とか、あまり普段は触れていないから戸惑ってしまう人たちがいると思うんですが、そこからどのようなお話をするんですか。

 

意外と戸惑うのは大人です。

 

―大人なんですね。

 

小中学生は、結構好奇心をむき出しにしてきます。それは私もやってみて意外だったんですけど、小学生は本当に食いついてきますね。歓声が上がる時もあります。義足を外していると「おー!なんだそれ!」みたいなリアクションです。

大人や高校生であれば「ちょっと申し訳ないんですけど」と入るところを、小学生は直球でリアクションしてきて、「お姉さんそれいくらすんの?」って聞いてきます。逆に年齢が高い方にお話をする時には、いかに自分から壁を取り払って話すかを考えています。

 

―TEDではオーディエンスにその場で義足を外してみせられていましたよね。

 

あのときのテーマは「Like a Child」というもので、子供の心を持ってということだったので、まぁいいかなと(笑)。素直な気持ちで受け止めて欲しいと思っていたので、特に抵抗感を取り払うようにとかは考えてなかったですね。私も素直にメッセージを吐き出す感じでした。

 

― 大人に伝える時の工夫はどのようなことをされてるんですか。

 

大人にしろ、子供にしろ、出来るだけありのままの姿を伝えることで、伝わることはあるかなと思っています。その上で、大人の場合はちょっと難しい話をしますね。パラリンピックにはクラス分けというのがあって、そういうクラス分けをちょっと教えると、新しい知識として入ってきて、ちょっと詳しくなったような目でパラリンピックを見れたりすると、他の人に自慢できたりとか。(笑)

私の中で、そういった知識の中でも「クラス分け」の知識は、誰かに説明できるとちょっとかっこいいというのがあります。(笑)興味をもっているうちに、私のクラス分けの知識がどんどん増えていきました。選手の仲間はみんなパラリンピックの世界にいるのに例えば「T50台とT30台の違い」がわからないんです。両方とも車椅子なんですけど、それを説明できるとちょっとかっこいいみたいな感覚が私の中にあります。車椅子の人から「よく知ってるなあ」と言われると「えへん!」という気分になるんです。

そういうところは小さい子たちはわからない、でも、大人の場合はなぜそれが必要なのかを説明すれば簡単に分かります。そういったちょっとした知識を持ってもらうとパラリンピックの見方も変わってくると思っています。大人と大学生に話す時はちょっと踏み込んで、こんなことをお話しています。

 

原動力は知らない世界を見てみたいということ

―高桑さんはアスリートとしての活動だけでなく、会社で働き、学校で子供たちにメッセージを伝えて、と色んなことにチャレンジされていますが、その原動力は何でしょうか。

 

できるだけ新しい世界を、ちょっとでもいいから見てみたいというのはあるかもしれないですね。エイベックスでお仕事することを選んだのも、もちろん競技を辞めた後にちゃんと生きていくためのスキルが欲しいというのもあったんですが、やはり知らない世界を見てみたいという風に思ったのがあるかもしれないですね。

私にとって知らない世界は、社会人としての世界とか、私の会社だったらエンターテインメントの世界だったりとか、自分にとって刺激になりますし、自分自身パラリンピアンに戻るとみんなが知らない世界に私がいるわけです。だから、みんなが知らないこの世界をみんなに見せてあげたい。みんなにとって、小学生から大学生、大人でもそうですが、その人たちにとっても知らない世界をできるだけ見て、見せてあげたい、見て欲しいと思っています。私がパラリンピックに出会った時の感動を同じように味わって欲しいので、これからもできるだけ外への発信をしていきたいと思っています。

 

―これから挑戦したいことは何でしょうか。また、悩みはありますか。

 

今は目の前の事を処理していくことで、いっぱい一杯な状況ですね。私はあまり器用な方ではないので、世界を広げつつも、仕事にしても競技にしても処理をしていくのが大変な状態なんです。でも、2016年はオリンピック・パラリンピックの年でもありますし、みんなが着目している2020年の東京オリンピック・パラリンピックもあります。いま競技の方に集中したとしても、やはり2020年に向けて日本が本当にどうやって動いていくのかは、みんなの課題だと思います。

パラリンピックに関わっている人の課題であるということは、それは私の課題でもあって、それこそ外に発信していかなければならないし、どうすれば障害者スポーツの世界にみんな興味を持ってくれて、それをスポーツとしてお客さんが会場に来てくれるかなということをすごく考えています。最近、選手でもないのに、うちの母親までも焦ってきて「どうしよう・・」と言っています。(笑) 

色んな人や関係者が悩んでくれるのは喜ばしい事ではないんですけど、そんな頭抱えて悩むことじゃないにしてもそれぐらい少しでも関わっている人は一種の危機感を感じていると思います。「このままいったらうまくいかない」と思っていると思うので、ぜひともこういう機会に、色んな人に広めていって欲しいと思いますし、みなさんにも会場に来ていただきたいなと思っています。

 

自分の国の選手が活躍できなかったら、ちょっと寂しいじゃないですか

 

―パラリンピックに関わっている人の課題とは具体的にどのような課題ですか。

 

やっぱりオリンピックがメインになってしまうんですけど、認知度という面ではパラリンピックというワードはみんな知るようになってきました。しかし、実際、何があるのか、何をやるのかを知らない人が多いと思います。もう少し踏み込んだ話をすると、選手の強化です。この前の大会でもかなりたくさんの選手が行ったんですけど、メダルをほとんど取れていないという意味では、やっぱり2020年自国開催なのに日本が活躍できないというのはすごく残念なことだと思うんです。

過去の例を見ると、北京五輪の時は中国が選手を強化して、ロンドン五輪の時はイギリスが選手を強化しています。その2国はパラリンピックのメダルランキングで常に上位にいるぐらい、今でも強化をしています。

しかし、日本はまだまだそこに追いついていない。2016年はリオデジャネイロ五輪です。ブラジルは3年前のロンドン五輪の時からリオを見据えて強化して、今ではメダルをかなり取れるようになってきました。これまでの各国の成功事例が沢山あるにもかかわらず、なかなか選手を強化できていない日本の現状は、どうしたものだろうなと感じています。

やはり自分の国で開催される大きな国際的祭典を見に行って、自分の国の選手が活躍できなかったら、ちょっと寂しいじゃないですか。やっぱり見に来てもらうためには、見に行きたいと思わせるような選手が増えなければ、なかなか難しいと思いますね。

 

友達を沢山作ったら、その分だけきっと2020年見に行きたいと思ってもらえる

―2020年に向けて、高桑さん個人としてはどのようなアクションをされているのでしょうか。

 

私は現役の真っ只中の状態なので、それこそ競技のパフォーマンスで見せるしかないと思っています。これだけ沢山、取材だったりとか色んなところで情報発信をさせてもらっていて、高桑早生を見に行きたいと思ってもらえるような、見に行ってよかったなと思えるような、質の高いパフォーマンスのできる選手にならなければいけないですし、結果がどうであれ、応援してもらえるというか、見てもらえるような人間的にも優れた選手にならなければと思います。

そこが今、私にとって一番大事で、私にしかできないことかなと思っています。あとは地道に活動していき、色んなところでできるだけ発信していって、色んな方にお話を聞いてもらって、その人自身も見に行きたいなと思ってもらう、例えば記者の人も記事を書くだけじゃなくて、その人が見に行きたいと思ってもらえるような発信の仕方をしていくというのが、私にはこれぐらいしかできないんですけど、地道に活動していくしかないのかなと思いますね。

そして、あとはできるだけ友達を沢山作る。(笑)実は、あんまり得意ではありません。(笑)友達を沢山作ったらその分だけきっと2020年の東京五輪を見に行きたいと思ってもらえると思うので、頑張りたいです。

 

― 今の若者に対してどう思われますか。大人たちが色々と若者について語っていますが、若者としてどのようなことを思われていますか。

 

難しいですね。(笑)色んな人がいますよね。凄いチャレンジをする人たちもいるじゃないですか、それこそ学生の頃から会社やってますとかいう人が沢山出て来ている一方で、すごく安定志向の人がいたりします。色んな人がいて、情報も溢れているので、勉強という面だけじゃなく、知識が豊富な気がするんですよね。なので、楽しい時代だと私は思います。同世代の人もそうですし、それこそ受賞者の方の世代、20代から30代にかけてとか、私すごく30代前半の知り合いとか多いんですけど、ものすごく面白いなと思います。色んな考え方の人がいて、それがぶつかり合うのではなくて、すごくいいバランスでみんな意見をしあったりとか、みんなどうやっていいものを作り出していこうかという考え方は変わらないんですけど、それに対するアプローチが人それぞれ本当にバラエティ豊かな方法だったりで、面白いですよ、若者と思いますね。(笑)

 

―面白い人とはどうやって繋がることが多いんですか。 

 

もちろん義足関係のエンジニアさんだったりとか、私は大学時代工業デザイン系の研究室にいたので、デザイナーさんだったりとか。あとは陸上関係のスタッフさんとか、最近若返りを図っていて30代の大学の先生とかも多いんですけど、本当に2020年に向けてどうしようかとみんなが頭を抱えていて、こうすればいいんじゃないか、ああすればいいんじゃないかと色んなアイディアとかがでてきて、正直、私は私の世代しか知らないので、昔のこととかは正直あまりよくはわからないですけど、本当に勉強熱心ですし、沢山の知識を持っている方が多いと思います。

 

―同年代の人に対してメッセージをいただけますか。

 

今、同世代というと、一番がむしゃらな時期というか、それこそ先のことがわからなくて、非常に不安な状態だったり、それでも挑戦していこうという人がいたり、漠然とした不安を抱えたままの人がいたりとか、もう諦めてしまったりとかしていると思います。その不安というのを共通して抱えている世代だと思っていて、未来に対する不安というのをなんとなく持っている。なので、それはもしかしたら私の中学時代と似ているかもしれないと感じています。未来に対して、この先どうなっていくんだろうという不安。もしかしたら私の世代だけに言えることではないかもしれないんですけど、何かはっきり信じられるもの、ここを乗り越えたらきっとこの先良いことが待っている、何か新しいものが生まれるというのを信じて、今を頑張って欲しいなという風に思いますね。私自身が今、実際にそうなので。

 

お金を払ってでも観たいと思える大会作りをしたい

 

―これからの高桑さんの夢は何でしょうか。

 

何か大会を作りたいです。私は今、陸上競技なので、陸上だけの話になりますけど、今、障害者の陸上競技の大会って、オールフリーなんですね。チケットとかないんですね。無料で観られるんですけど、それをお金を払ってでも観たいと思える大会作りをしたいです。今はボランティアでやっているというか、組織だってやっていないので、そこを変えていきたいです。今の大会とは違う大会で、なおかつ、IPC公認という世界ランキングに反映され、記録を取れる大会を作りたいと思っています。現役選手として一線を退いたら、そういう活動に力を入れていきたいと思っています。大会運営をしていく立場になるためには、結果を出している方が説得力ありますからね。

 

―ありがとうございました。これからもたくさんの若者に感動を与え続けてください。

 

(インタビュー2015年11月6日:学生スタッフ藤村琢己)

さて、来たる2016年10月5日(水)に、高桑さんの講演会がございますので、ぜひご参加ください。

詳細と参加申込はこちらからお願いいたします。