日本ユースリーダー協会内部に設置した選考委員会による選考と、外部有識者で構成された審査委員会による厳正なる審査を経て、このほど第15回若者力大賞の受賞者が決定しましたのでお知らせします。
| 第15回若者力大賞表彰式 | |
| 日 時 | 2024年(令和6年)2月6日(火)表彰式 18:00~19:30、懇親会 19:30~20:30 |
| 会 場 | 六本木ヒルズ、ハリウッドプラザ5階 「ハリウッドホール」 |
| 参加費 | 無料 |
| 主 催 | 公益財団法人日本ユースリーダー協会 |
| 協 力 | 学校法人メイ・ウシヤマ学園 ハリウッド大学院大学 |
1992年生まれ
WOTA株式会社 代表取締役CEO
水問題に取り組むまで
・上下水道のない徳島県の山間部で育った。小学生のころから自然環境に自然な関心を持ち、生物の研究を始め、中学ではクモの糸の研究で科学論文コンクールで日本一になり、アメリカのNIH(国立衛生学研究所)やNASAに派遣された。そこで聞いたアル・ゴア元副大統領のスピーチの中で『環境問題に取り組むと人類全体と仕事ができる。そして環境問題の解決を通じて世界中の人とつながることができる』という言葉が心に残った。「これまでは純粋な好奇心で自然環境に関する研究に取り組んできたが、自分も社会的な目的意識を持って世界中の人々とつながりたい」と、これまでと違った視点で環境を考えるようになった。
・故郷に戻った際に、瀬戸内海の島における地下水や土壌の汚染による公害の後処理の現場を目の当たりにし、水処理の研究を開始する。それをさらに追求するため、東京大学へ進学した矢先に東日本大震災が起きた。震災前日が大学の合格発表の日で上京しており、都市インフラの脆弱性を痛感した。3日間水を飲めないと命に関わる。ボランティアでお伺いした東日本大震災の各避難所では、十分な生活用水が使用できず、衛生環境などの悪化によって命を落とす人もいらっしゃった。次の国難級の災害でこれらを繰り返してはならない。
WOTAでの活動
・災害時の水問題に取り組んだ。2018年の西日本豪雨災害の避難所にて試作機を用いた入浴支援を実施。様々な技術課題を解決しながら商品開発を成功させ、2019年の台風19号災害の際には、ポータブル水再生システムWOTA BOXを活用し長野市全域の避難所で水に困らない風景を実現。これまで災害現場で16自治体・28箇所、2万人以上の方々に生活用水供給を行ってきた。
・WOTA BOXはエアコンの室外機ほどの大きさで、排水を高い効率で再生循環し水の再利用を実現。生活排水からWHOの定める「飲料水水質ガイドライン」に準拠した水を再生率98%で再生循環する。今年は、秋田の令和5年7月豪雨災害、沖縄の台風6号災害、トルコ・シリア大地震災害の現場でもWOTA BOXが活用された。
WOTAの現状
・世界で初めて、住宅向け小規模分散型水循環システムを実装。人口減少、水道管路老朽化に伴う、上下水道財政問題の解決に向けて開発を進めている。
・これまでに日本政府系の日本政策投資銀行、環境省系ファンドや水関係の業界を牽引する複数の企業、首都圏及び地方の金融機関から、100億円を超える資金を調達した。この資金を元に、住宅向け小規模分散型水循環システムの量産及び社会実装を目指す。水道の普及や維持が難しい地域における水インフラの新標準に取り組むスタートラインに立った。
全世界を見据えて
・従来型の上下水道は水不足地域や農村地域などに適しておらず、全世界をカバーできない。日本国内でも、人口減少に伴い上下水道の採算が合わない地域が増えている。WOTAの小規模分散型水循環システムによって、そうした地域における持続可能な水インフラの構築を目指す。
・WOTAは製造業モデル。製造業の製品は世界中に浸透している。アフリカのマサイ族の村にも日本車や冷蔵庫などの家電があり、衛星通信を用いてスマートフォンで動画を見るなど現代的なライフスタイルが普及している。それにもかかわらず、上下水道はなく、水だけは毎日何キロも先まで汲みに行く必要がある。そんな風景を見て、土木建設業モデルではなく製造業モデルこそが水問題をいち早く解決できると考えた。
失われた30年を超えて
・日本は、これまでは生産年齢人口が減少してきたが、今後は総人口減少のフェーズに入る。国内総需要が減少に転じることで、国内のインフラ産業は厳しい時代に入る。水においても日本は課題先進国である。WOTAの事業は、日本国内の人口減少に伴う水インフラの課題を解決しながら、全世界に向けた新たな輸出産業を生み出すことを目指している。水処理と製造業は日本のお家芸とも言える、強みある分野だ。この両者を交えて、世界に貢献する。
組織の哲学、若者へ
・WOTAプロジェクトへの参加者全員が、人類の未来のための「水問題解決」への挑戦に夢中に取り組む「本気の遊び」を追求する。自分が変われば世界は変わる。
1999年生まれ
合同会社トンボ 代表社員
「合同会社トンボ」「オールホーム」の仕事
・児童養護施設で生活する中で、慕っていた職員が「ごめんね」と謝り、涙ながらに辞めていった。大学生になって初めて他の施設を見たときに、「ここで働いていたら、あの職員さんは辞めていなかったかもしれない」と思うような施設に出会い、施設ごとに色があることを知る。それをきっかけに、「施設と職員が適切にマッチングすれば、子どもたちにとって親代わりとなる職員の離職率は下がるのでは」という仮説を立て、大学3年生の時にALLHOMEという社会的養護特化型求人サイトの制作を目指すようになる。
・求人サイトを作ったものの反応はあまりよくなかった。しかし、職員の離職という課題はなくならない。そこで目をつけたのが、クチコミサイトだ。その施設の職員、働いていた元職員、生活していた人や、その施設の周りに住む人たち、来訪者など、さまざまな関係者からの声を集める。そうすることで、その施設の色、良いところや悪いところが浮き彫りとなる。その浮き彫りとなった情報に誰もがアクセスできることによって、施設間に健全な競争環境が生み出されるのではないかという仮説を立てた。現在は、1月中のリリースに向けて開発を進めている。
・あえてALLHOMEを会社名にはせず、合同会社トンボを作った。なぜなら、社会的養護における離職率だけに目を向けているわけではないからだ。あるべき姿や未来を考え、問題を発見し、デザインと企画・編集で解決する。具体的には、フライヤーの作成や、ホームページの制作、イベントのプロデュース、ブランディングなどの手法を用いる。トンボは、自分たちで使ったグラウンドのでこぼこを、次の人のためにならす道具だ。トンボのように、今の社会にあるでこぼこ(課題)を次に使う人たち。未来に向けてならしていくのが、合同会社トンボなのである。
ベースとなる思い
・児童養護施設は、子どもたちを原則18歳まで育てるという機能を果たしている限り、国からお金が入ってきて経営が成り立つ。しかし離職率が物語っているように、その環境には課題が潜んでいる。社会的意義のある仕事だからこそ、高い志や、熱い想いを持って入職する割合は高い。そんな職員たちが幸せに働き続けられる環境をデザインするパートナーでありたい。
「デザイン」について
・山梨の古民家宿で働いたとき、古民家宿のロゴやホームページがリブランディングされた途端に、同僚が自分の仕事に自信を持ち、生き生きとし始めた。自発的に働いている宿を自慢したり、知人にシェアしたりしていたのだ。そのブランディングの力を目の当たりにしたことをきっかけに、デザインへの興味を持つようになった。
・現在はサービスデザイナーとしてほかの会社で働きつつ、空いた時間を使ってトンボの仕事をしている。
・児童養護施設で暮らしていた背景を知る人たちからは、「吉住くんだから進学できた」「就職できた」と言われるが、社会に馴染んで働くことを、再現性の低いものではなく、誰にでもできるようにしていきたいと思っている。当事者性を活かした会社の経営だけでなく、会社員もやっているのは、社会的養護の子どもたちのロールモデルとなれたらとの思いからでもある。
生い立ちと今の生き方
・生い立ちの環境が悪く、何でも親や色々なことのせいにしてきたが、今は親が悪者だと思っていない。年を重ねるうちに、親からの虐待には、親自身が育ってきた環境の悪さが影響しているということが分かった。どのようにしたらその悪循環から抜け出すことができるのか、と今は前向きに考えることができている。
・家に居場所がなかったし、施設もあまり居場所と思えたことはなかった。自分にとっては学校や友だちが居場所だった。友達の家に行って出てくるお菓子とかお茶とか、その家のお母さんとのコミュニケーションが、一つひとつ自分を育ててくれた。その経験から、自分は社会に育ててもらったと思っている。
1987年生まれ
アーティスト・アート教育者
「13歳からのアート思考」の執筆に至る経過
・美術制作者として、絵が描けなくなって行き詰った事があった。悩んでいる中で、「最終的に出来上がる作品は、地面の上に咲いたお花の部分でしかない」と気付いた。作品が出来ない時間も、根っこを伸ばしている大事な時間ではないかと思えた。
・お花だけではなくて根っこを含めてのアートなのに、学校の美術教育では作品を作るとか、作品の良し悪しがどうだとか、お花ばかりの教育になっているのではないかという問題意識を持った。
・中学校の教諭を経て非常勤の美術の教師をしていた時に、アート思考を深めていく授業をやり、生徒たちがアートに興味を持ち面白が留る姿が見られたり、美術の範囲を越えた色々な教科の学びや、日常の家庭での生活や生き方に結び付けて捉えてくれているという手ごたえがあった。
・自分としても美術は懐が広いものという自信を持って、美術なんて自分には関係ないと思っている人たちにも、楽しんでもらえるのではないかと「13歳からのアート思考」を執筆した。
アート思考
・アート思考とは「自分自身のものの見方を育むこと」。例えば、「卵をリアルに表現する」というテーマで生徒それぞれが自分のものの見方を探究する授業をした。生徒たちは絵画や立体など様々な表現方法で「写真のように再現すること」だけではないリアリティーの表現を模索していた。発表の日、ある生徒は、弁当箱に入れた目玉焼きを作品として持ってきた。制作過程では、実物の一部を使い、卵の黄身を筆につけて絵を描いてみたりしていたが、まったく新たな作品を持ってきたので驚いた。一見、手抜きの作品にも見えるし、「いっそう、実物そのものを持ってこよう」という考えは安易なものにも思える。しかし、「花」ではなく「根」に着目すると、その生徒は他の誰よりも長く、提出日の朝までリアルさについて考え続け、根を張り巡らせていたと捉えられる。
・このように自分自身のものの見方、感じ方に立ち返っていくことによって、自分自身の人生が充実すると考えている。本を世の中に出してから、学校教育現場だけではなく、社会の様々な仕事に就いている人たちからも、自分の生き方に悩んでいる人からも、子育てをしている親からも広く反響があった。
現在と今後
・今は、全国の教育機関でアート思考の授業を実施したり、社会の様々な場で講演活動、アート教育に関する事業協力、執筆活動と活動の幅が広がっている。
・現代の変化が大きい不確実な世界で、人間の感性に立ち返って、AIにできないことをしていくとか、新しい価値を創造していくとかという面でもアート思考は意味を持つと思う。
代表理事 渡部カンコロンゴ清花(わたなべ かんころんご さやか)
1991年生まれ
今の活動
・「難民」たちの可能性やパッションに光を当てようと8年間やってきた。難民人材と日本企業をつなぐ人材コーディネーションサービス「WELgee Talents」はキャリアコーディネーターが企業と彼らの間を繋ぐ。
・今までに20人の中長期での活躍を前提とした就職が実現。「2025年までに100社で難民人材の活躍事例をつくる」事が目標。
難民とは
・日本で2022年に難民認定された人は、10,345件の処理件数(取り下げ除く)のうちの202人。2016年の28人と比較して増えてはいるが、G7の中では認定率は一番低い。
・身に危険が迫る中、イチかバチかで申請書を出した日本の短期滞在ビザが下りて来日したケースが多い。入国後難民認定申請書を出すが、出入国在留管理庁の人に「4、5年待って」と言われて驚く。「特定活動ビザ」でひたすら待つ日々が始まる。「檻のない刑務所にいるようだ」と話す人も。
今までの道のり
・大学時代に滞在したバングラディシュでは、自国の政府や軍、警察から生活を脅かされてきた先住民族たちと暮らしを共にした。「国家が守らない、守れない人たち」の存在を目の当たりにし、自分に何ができるのか自問しつつ帰国した後、東京でも、母国を後にし日本に逃れてきた「難民」と呼ばれる様々な背景を持つ若者たちに出会った。
・まず学生団体として難民支援の様々な取り組みをしたが根本的な解決策に至らず、難民の仲間が口にした「数%の可能性(難民認定)を目指すしかない?」から、難民の就労伴走事業が始まった。彼らはジャーナリスト、医師、弁護士など様々な背景を持つ。この可能性を「難民」とくくらずに、彼らのパッション、個性を日本の企業と繋げていこうと考えた。
・日本企業がスポンサーになり「会社の発展に必要な人材」と証明すれば、国の認める難民該当性とは関係なく、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格を取得して安心して働き暮らせる。彼らを世界と日本の架け橋に。
マッチングの苦労
・難民と日本の企業とのマッチングは難しい。採用の段階で過度に高まってしまうこともある企業側と難民人材側両方の期待値を適切に調整しながら良いマッチングを生み出していく。時には難民人材には「日本企業特有の文化もある」と言ったり、企業側には「抱えている課題が全部は解決しない」と強調したり。両方に伴走して採用を実現していく。
・長期間伴走するということは、企業からマッチングフィーを頂いても大赤字になってしまうということ。これは月々1000円や1万円のWELgeeファミリー(マンスリーサポーター)に支えられている。WELgeeファミリーのおかげで、継続的・持続的に事業を運営し、発展させることができている。
今と今後
・「これまで良かった」時代を知っている日本人だけでは、日本が変わるエッセンスは見つからない。グローバルな背景を持った若者たちが、パッションを持って一緒に働くことで見つかる。
仲間について
・ここまでの取り組みは、仲間の存在があって可能だった。2018年の創業時の最初の給料は4万5000円だった。これを「あって良かったね」と一緒に笑い合えた仲間。
2005年生まれ
大阪府立高校3年生、株式会社SOS 代表取締役
ザッカーバーグに刺激を受けて
・10歳の時にフェースブックのマーク・ザッカーバーグが「5兆5000億円を子どもたちのために寄付をする」と言った事を凄いと思い、彼のようになりたいと中学3年で起業した。
・中学では写真部の部長だった。写真部には支援学級の子も沢山入ってくれた。ある時、部活に来なかった子がいて、支援学級に様子を見に行ったら、先生が課題をやりなさいと言っていて、その子は勉強したくないと泣いていた。それを見て子どもの想いが届いていないと思った。子どもが泣いているなら落ち着かせてからとか、話を聞くとか、明日にするとか、他のやり方があると思った。子どもの意見が良く聞いてもらえる世界にしたいと思って、まず自分が影響力のある子どもになったら良いのではないかと思った。
株式会社SOS
・株式会社SOSのコンセプトは、「全て子どものために」。具体的には①使用型配布広告(広告したい会社がお金を出して、子どもたちの施設に広告入りの文房具などを配布する)、②体験型広告(子どもたちにヘリコプターの体験試乗をしてもらい、その様子を会社の社会貢献としてSNSに流す)、③コドモのミカタ事業(個人や会社からの寄付で、児童養護施設におもちゃを寄付する)、④子どもたちにおもちゃを寄付する。利益の10%を寄付に使っている。
「コドモSOS」
・24時間メールで子どもの相談を受ける「コドモSOS」。「親がこうだ」とか「勉強ができない」とかで悩んでいる子どもがいる。人生には勉強以外のなにかが絶対にあるが、それを親や友達が伝えきれていない。子どもが相談する場はないので、頑張りたい。
勉強は苦手、学校は楽しい
・学校の勉強は苦手だが、学校は好き。毎朝一番に登校して全員に挨拶することをルーティンにしている。今年の文化祭でも自分が脚本監督で映画を制作したりしている。
・学校の勉強と経営学と言うのは違うものと捉えている。会社のビジネスモデルとか仕組みについて調べたりすることはよくする。
広告に注目したわけ
・広告は初期費用が掛からないし、ネット環境だけで始められる。フェースブックの売上の99%以上が広告で得た利益ということにも注目した。街でよくティッシュを配っているが、すぐ捨てられるので無駄が多い。使用型配布広告は、その欠点を克服するために自分で考え出した広告。
IPOの最年少記録を目指す
・今後は、子どものための完全無料の小売店とか、誰もやったことのないことをやりたい。使用型配布広告も、ヘリコプター広告も誰もやったことがなかった事だった。あと、20歳までにIPOをしたい。これまでの最年少が22歳なので、その記録を塗り替えたい。
「子どものために」(受賞者から)
「子どもの気持ちは子どもが一番理解できると思っています。大人には中々話せないことも子どもである私には話しやすいと様々な相談をいただきます。NPOは支援が確定していて素晴らしい活動ですが、時間と行動に制限がある私には難しく感じます。NPOの様な非営利で起業せず営利事業で起業したのは、活動や支援に限界や予算が無いことからです。中学生起業家として始まった私の事業ですが、起業してからもう4期目です。子どもの支援と未来の宝である子どものスタートアップに、私の行動が役立てればこれ以上ない幸せです。」
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