2019年2月19日(火)、六本木ヒルズ/ハリウッドホールにて「第10回若者力大賞表彰式」を開催しました。
『若者力大賞』は、若者ならではのパワーと使命感と行動力を持って、自ら時代を切り拓き、同世代に夢と勇気を与えている次世代リーダー、及びその指導者(個人・団体)を顕彰することにより、次世代育成に対する社会的な関心を高め、その取り組みを推進していくことを目的に実施しております。
今年は学生、社会人あわせて200名を超える参加者が見守る中、今回受賞者の6名(組)の方々が、それぞれ感動的なスピーチを行いました。
「若者力大賞」は今年で10回目となります。
また、当協会自体も今年、設立50周年を迎えます。
ちょうど御代がわりの良き年に、まことに喜ばしいことが重なりました。
この若者力大賞で、毎回表彰して思うことは、社会には様々な課題があるということです。貧困や格差、自然災害、或いは日常の暮らしの中にも、問題はたくさんあります。
その中で感心するのは、そうした課題を何とか解決しようと、果敢にチャレンジする若者がいる、ということです。
我々ができることは、そうした彼らに光を当て、周りに伝えてあげることしかできませんが、今日、お集りの皆様には、ぜひこのあとの彼らのスピーチに感動し、共感していただきたい。そして、何らかの形で結構ですから、彼らを少しでもサポートしていただけることを、心から願っています。
今回の第10回目の「若者力大賞」は、私のほか15名の委員による若者力大賞実行委員会で、公募から第1次選考までを行いました。途中から学生の声も取り入れようということで、学生実行委員会も立ち上げて取り組みました。
今回は、最終的に60人(組)の応募がございました。
選考では5項目の評価基準をつくって、実行委員一人一人が採点をし、その中から上位者を第1次受賞候補者として選考いたしました。そのあと候補者とは、おひとりおひとり個別に面談を行い、そのうえで、最終候補者を決定いたしました。
5月の末に公募を開始して、最終候補者を決定したのが、10月半ばでした。約5か月にわたっての選考作業となりました。
そのあと、10月下旬から審査委員による最終審査を行い、正式には12月3日に栄えある受賞者を発表いたしました。
今回も、素晴らしい活動をされている方々が受賞されました。
ぜひこの後の皆さんのスピーチに耳を傾けてあげてください。
皆さま、こんにちは。MISIAです。
このたびの「第10回若者力大賞」へ謹んでお慶び申し上げます。
また、記念すべき10回目の「若者力大賞」各賞を受賞されました皆様に、心よりお祝いを申し上げます。
私が賞をいただいたのは、アフリカでの教育支援を本格的にスタートさせて数年という時期で、
大変恐縮いたしましたが、活動を応援してくださるそのお気持ちを何よりありがたく感じました。
現在もアフリカへの教育支援活動は続けており、最初にサポートした子どもたちは、大学生、さらには社会人へと成長をしておリます。
その子どもたちは言います。
「教育が自分に自由という翼をくれた」
「物は盗まれても学んだことは誰にも盗まれなかった」
教育を通じ身も心も成長し、未来を掴んだ子どもたちを目の当たりにして、
私自身が「教育」というものの希望を改めて子どもたちから学んでおります。
また活動を続ける中で大変ありがたかったことの1つが、
人生や様々な経験においての諸先輩方からのサポートやアドバイスです。
子どもたちは多くサポートに支えられて成長しますが、
「若者」もまた、たくさんの方々に温かく見守られ育つものだと思うのです。
皆様にはどうぞこれからも、そんな「若者力」をサポートいただきたいと願っております。
最後に、昨年、今年8月に横浜で開催される第7回アフリカ開発会議(TICAD)の名誉大使に就任いたしました。
今後、大使としての活動も行いながら、アフリカ、そして日本の子どもたちにとって、より良い未来が築けるよう、
自分に出来ますことを精一杯行いたいと思っております。
受賞者の皆様、ともに、素晴らしい未来を築いていけるよう尽力いたしましょう。
「第10回若者力大賞」、心より、おめでとうございます。
(注)写真は、メッセージとともにMISIAさんから送られた感動的な1枚の写真です。
【第10回若者力大賞・表彰式】
**************授賞理由(表彰盾)**************
あなたは ひとりの人生の輝きを
最後まで支える 介護活動に取り組み
「介護リーダー」を目指す 若い仲間とともに
多くの人々に 勇気と喜びを与えてくれています
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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今回の賞は、これまで一緒に取り組んできた仲間たちみんなでいただけたものと、大変感激しています。
私自身は、大学時代に介護の現場でアルバイトしていて、
結構楽しかったです。その中に、ムードメーカーのような明るいおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは毎晩毎晩お祈りをしていました。
「早く迎えに来てほしい」
「生きてると周りに迷惑をかけて申し訳ない」
この状況を見て、人生の終わりって、必ずしも幸せではないという現実を知りました。支えている家族もみんな苦しんでいる現状を目の当たりにしました。
そんな時に、3.11の大震災がありました。多くの人たちが
復興支援のボランティアに取り組んでいました。私も何かしなくてはと思いながら、でも一方で、介護という問題への関心は、周りでは意外に低いことに気が付きました。私の中で課題意識を持つようになって、大学卒業と同時にこの活動を始めて6年になります。
私たちは、介護から人の可能性に挑むというミッションを掲げて、介護領域の課題を若い人の力で解決しようと事業展開を行っています。
その中の一つとして、介護領域に志を持つ若い人たちのコミュニティ:「KAIGO LEADERS」を運営しています。20代、30代の若手の専門職はもちろん、介護という課題に問題意識を持っている様々な領域の人たちが集まって、一緒に学び、プロジェクトを起こしています。
いま、介護の職場の6割が人手不足といわれています。
そんな状況の中で、専門職の人たちも、問題に気づいたりした人たちも疲れてしまって、本来の可能性をもっともっと発揮できる環境にしたいと取り組んでいます。
例えば、介護の現場でもっと楽しく働きたい、そんな環境を作りたいと思った人たちが、1年間で離職ゼロを実現したり、普段、現場で働いている理学療法士が、もっと地域の中で、介護が必要となる前から、健康でいるうちから関われたらと考えて「くらしの保健室」を始めたり、いま140人の人たちが様々なプロジェクトを起こしています。
いま、2025年に向けて、10,000人の介護リーダーを目指しています。
介護はまだまだこれからです。今回の受賞は、これからの活動へのエールだと受け止めています。
ありがとうございました。
**************授賞理由(表彰盾)**************
あなたは 罪を犯して裁かれる犯罪者の
その家族に 正面から向き合い
被害者への罪を
背負いつづける家族の背中を支え
再犯の防止に取り組んでいます
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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今回の受賞に大変感謝しています。
加害者側を助けるとは何事か、とお叱りを受けることが多い、そんな活動をしています。
皆さんは、今日、家族を送り出すとき、気をつけてと声をかけてると思います。交通事故にあわないよう、とか、学校でいじめにあわないように、とか、被害にあわないようにという気持ちだと思います。交通事故を起こさないように、という起こす心配は普段しない。被害者がいれば加害者が必ずいて、そこに家族が存在します。
私は10年前に仙台で加害者家族の支援を始めました。その時、日本にはそういった組織どころか、情報すらない状態でした。そうした方達がどこでどんな生活をされてるか全くわからない。
少し検索していくと重大事件の加害者の家族が、自殺されたとか、縁談が破談になったとかが若干出てきます。
海外には、山のように情報はあります。なのに日本にないのは何故なのか、という思いでやってきました。
いま、アジアにも活動を広げています。でも仙台の拠点は変えません。
東北大震災が起きた時、私もスタッフたちも大きな被害を受けました。その時、加害者家族の方々から、たくさん励ましを
いただきました。
「阿部さんたちが生きててくれてよかった!」
つらい思いをした被災地から、これからも発信を続けていきたいと思っています。
ぜひ、こういった家族の存在を、苦しんでいる家族がいることを、そして、こうした支援があるということを知っていただけたらと願っています。
**************授賞理由(表彰盾)**************
あなたは 生まれ故郷の熱海の街を
地元の人々と 多種多様な人々が集いあう
新しい街の魅力を創出し
地域おこしのモデルとされる事業に
挑戦されています
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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今回の賞を頂けたことは、これから地域をナントカしたい方々にも励みになるのではと、大変ありがたく思っています。
僕自身は100年後も豊かな暮らしができる街をつくるという目的で12年間、街づくりに取り組んできました。
僕が高校生のころ、熱海の街は、本当に数年で廃墟のようになっていくのを目のあたりにしてきました。だれだれの家がつぶれた、いなくなったとか、自殺したそうだとか、そんな時代でした。そしていまから12年前に熱海に戻ってきました。
いま12年間を振り返ると大変なことがたくさんありました。
最初は地域の人たちになかなか理解されなくて、受け入れられなかった。
熱海という街は観光地なので、どうやって観光客を呼ぶか、皆さん必死でやってたけど、それは違うんじゃないかと。
まずは、地元の人たちの暮らしが変わっていかなきゃ、地元の人たちの意識が変わっていかなきゃいけないんじゃないか。
そこから始めました。
最初にショックだったのは、熱海には何もないという地元の人たちのネガティブな意識でした。
そこを変えたいと思って始めたのが、地元の人たち向けの体験ツアーでした。地元の人たちが地元のファンになり、サポーターになり、プレイヤーになって、そうやって関わっていく人を少しでも増やそうということから始めました。
おかげでいま熱海は、V字回復だといわれるようになりました。
降りていたシャッターもなくなって、若い人たちも増えてきています。
でもナンとなくモヤモヤしてるのは、マイナスから回復はしてきたが、また昔の観光地に戻って、面白くなくなってきてるんじゃないか、そんな心配をしています。あらためて地道に、自分たちが暮らす街をいかに良くしていくか、に取り組んでいきたいと思っています。
最近うれしいのは、熱海で起業しようという若い人たちが増えている。そして、それを地元の人たちが快く受け入れてくれるようになりました。
僕らが10年前に自由にやれたのは、10歳ぐらい年上の人たちの後押しがあったから。
同じように僕たちも次の世代のために、体を張って応援していきたいと思っています。
**************授賞理由(表彰盾)**************
あなたは カナダから日本の文化を愛し
障がい者にも優しい日本社会を 自ら体験して
広く海外に バリアフリー日本を伝え
多くの観光客に 安心と信頼を広めてくれています
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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ステージに上がったら、日本語全部忘れてしまいました(笑)
私自身、障害を持っていますが、両親はいつもこう言ってました。「障害を持ってても、夢はあきらめないで。健常者と同じことができなくても、時間が倍かかっても、夢はあきらめないで」
私は日本が好きで何度も来ました。初めて日本に来た時に、浅草の駅で、まだエレベーターがない時で、駅員さんが6人で車イスを運んでくれて、(ちょっと怖かったけど)感動しました。
そのあとも何度も日本に来て日本が好きになって、そして日本に住むようになった。3年前に日本国籍も得ました。これで、私の夢は叶いました。
でもそれだけでは満足できなくて、愛する日本のために何か役に立つことをしたい、と思うようになりました。
実は、障害者の94%の方たちは、どこかに出かける前にバリアフリー情報を探します。なければ半分以上はあきらめて他に行くというデータがあります、
日本ではどうなのかなと心配して、何かできないかと思ってバリアフリーの情報を送ることを考えました。
日本でもバリアフリーはできているのに、その情報がないとだめだと思ったからです。
最初のうちは、これで役に立ってるのかな、と不安でした。ある時、オーストラリアの方からメールが届きました。
「私の娘は、グリズデイルさんと同じ障害を持っている。アニメが好きで、聖地である日本に行きたがっているけど、
日本は無理かな?と思っていたら、あなたのホームページを見て勇気をもらいました。
来年、日本に行かせることにしました」
やって良かったと、本当に思いました。
これからオリンピックもあるし、精一杯頑張ってやっていきたいと思っています。
**************授賞理由(表彰盾)**************
あなたは トイレに対する
社会認識の低さに気づき
小学校や 公共トイレの空間改造や
災害時における防災トイレ計画など
トイレからの社会改善活動に取り組んでいます
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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よくぞ私を発見してくれてありがとうございます(笑)
トイレを良くして社会を良くしようという活動に取り組んでいます。
活動は主に3つ。
(1)災害時のトイレ
(2)子供たちとトイレ
(3)街中のトイレのバリアフリー
その中から災害時のトイレの話を紹介します。
いまから5秒後、大きな地震が起きたら、、、、(5秒)。何にもなくてよかったですね。
もし起きていたら、たったいまから、もう水洗トイレは使えません。でも、排せつは止められない。
この建物のトイレもあっという間に溢れます。
そうなれば感染症が広がる。トイレを我慢して水を飲まなくなって、弱っていって、いのちを落とす。
これがトイレ問題。これが伝わらない。
東日本大震災の発災から3か月ぐらい経ったある日、私は仮設診療所のトイレを調査していました。
そこに車いすの方が来られて、でも階段のあるトイレなので手伝いましょうかと言ったら、介助している方が、
自分でできなきゃいけないので結構です、という。どうされるのかなと思って見ていたら、その女性が四つん這いに
なって、どろどろの仮設トイレを這い上がっていったんです。
こういった光景を見る機会はほとんどないと思います。だから問題なしとなる。
これを変えていきたいのです。
先進国、成熟社会・・・ウソですよね。
被災から3か月たっても、そうさせている社会ってナンだろう?
トイレを改善していかなきゃと思っています。
皆さん、普段からトイレを話題にしてください。
そうすることからきっと変わっていくと思います。
*************授賞理由(表彰盾)**************
あなたがたは 自然の恵みを生かし
子どもたちに
自然の持つ力と 育てることの大切さを教え
みんなが生き生きと 力を発揮できる世界をつくって
多くの人々に 夢と勇気を与えてくれています
よってここに その努力と功績をたたえ 表彰します
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こころみ学園は、知的障害の持った人たちが働き、
暮らす場所で、父(川田昇氏)が始めました。
父は当時、特殊学級の教員をしていて、その中に知的障害児がいることに気づきました。もともと農家育ちの父は、「百姓は貧しくても仕事ができればマンマは食べられる」という母親の言葉を信じていたので、そんな子供たちを見て、頭で食べていけないなら身体で一生懸命働いていくしかない、そう考えて、子供たちと一緒にブドウ園を開墾したのが60年前でした。
そして教員をやめてこころみ学園を立ち上げました。
ところが当時は社会福祉法人は醸造の免許が取れなかったので、有限会社にしてワインづくりの取り組みを始めました。
そして、知的障害の子供たちがつくっているからこそ、本当に手の入ったおいしいワインができました。
父が私に遺してくれたのは、知的に遅れていても、働くことに関しては天下一品のこの子たちを残してくれたんだ、
ということに気づいて、勇気をもらっていま、引き継いでやっています。
そういった子たちが、一生懸命頑張って、おいしいワインをつくっています。
その頑張りにこの賞をいただけたのかなと思っています。
ほんとうにありがとうございました。
受賞者と審査委員、協会副理事長が
勢ぞろいして記念写真
受賞者の皆さんと、審査委員との面談が、
表彰式の前に行われました。
そのあとに、過去に受賞された皆さんも加わって、
懇談会が行われました。
第2回目の受賞者の橋本さん、家本さんから、
第9回目の小杉さんまでお集まりいただき、
久しぶりの審査委員の皆さんとの懇談となりました。
いよいよ開会です。
会場は、六本木ヒルズ・ハリウッドホール。
表彰式の後は、交流会の始まり。
今回受賞者と過去の受賞者の皆さんが揃って、
西尾副会長のご発声で、カンパ~イ!
交流会では、第8回ユースリーダー賞を受賞された
日本舞踊家・花柳琴臣さんから
お祝いの舞を披露していただきました。